鈴鹿市 稲生遺跡文化探訪|スポット稲生塩屋9

稲生墓地(名塚)
稲生墓地イメージ1
稲生墓地イメージ2
 名塚とは、名号(みょうごう)塚からかわったものであるという説がある。今は、稲生町、野村町の多くがここを使っている。台風などで痛んでいたので、昭和49(1947)年に修復をした。また、昭和50(1948)年11月13日、墓地建設委員会が発足し、墓地周辺を整備して、ブロック塀で囲み、新しく墓地を造成して要望に応えるようにした。 現在は、墓地管理組合(稲生8か寺)が管理をしている。平成24(2012)年、西水屋は三商・鈴木孝氏の寄贈、東水屋は墓地管理組合の費用で整備をした。その後も、墓地管理費や寄贈によって墓地整備をすすめている。 戦没者墓地には、56基の石碑がある。
所在:鈴鹿市稲生塩屋3-17
六地蔵 稲生墓地
 稲生墓地 六地蔵
画像 稲生墓地六地蔵
 ここには、前後2列2組の舟形浮き彫り別石の六体地蔵がある。2組あるのは、昔は各所に散在していたので、どこかの墓地から移されたものだと考えられる。中央にある少し大きい石仏は、丸彫り立像の延命地蔵である。
大井良三郎墓碑 稲生墓地
 稲生墓地 大井良三郎墓碑
画像 稲生墓地 大井良三郎墓碑
画像 稲生墓地 大井良三郎墓碑タテ型画像
 明治12(1879)年2月10日生まれ。日露戦争に従軍し、帰って郡会議員、村会議員を勤め、収入役にもなった。河曲銀行取締役に就任し、後衆望により村長になった。しかし、大正8(1919)年4月24日、1年あまりで41歳で病死した。郡村民の辛抱が厚く、その死を惜しまれた。
稲生墓地 羽白斎大橋叔甫墓
 稲生墓地 羽白斎大橋叔甫墓
 大橋叔甫は、大橋かね氏の曾祖父・正策の四男である。幼くして書画を嗜み、その才能を期待されたが、32歳でなくなった。