鈴鹿市いのう遺跡文化探訪|スポット稲生塩屋地区10

甚三塚(じんざづか)
画像 甚三塚1 稲生塩屋
画像 甚三塚2 稲生塩屋
 文化年間(1804~1818)のことである。水争いで、稲生の人が徳田の農民を殺したので、犯人を出せと言ってきかない。犯人の農民は妻子もあり、どうしようと村中で何度も相談したが、よい案がなく困っていたら、釈迦堂で寺子屋の師匠をしていた柴山甚三郎が、妻子もいないので、「わしが身代わりになってやろう。」と言って、徳田の今の農協の辺りで殺されたという。稲生の人は甚三郎の霊をまつって、今も地蔵盆の8月24日に成泉寺住職が参詣し、北町自治会か法要を行っている。
甚三塚は、時代の変遷とともに田畑の宅地の整備に伴い、その所在地を転々としてきた。初めは釈迦堂に西に、次に名塚(稲生墓地)、そして農協稲生支店の南東に移った。平成30(2018)年11月、現在の場所へ移設された。