妙応山 観音寺(みょうおうざん かんのんじ)
黄檗(おうばく)宗
元伊奈冨神社の境内にあった。准胝(じゅんてい)堂といって馬頭(ばとう)観音を祀っていた。准胝堂というのをいつのまにか巡礼堂と呼び、諸国巡回の者がこの堂に宿泊するようになった。白河天皇(1073~1085)の時、西国三十三カ所の巡拝が流行し、年々たくさんの巡礼がここに宿泊したと思われる。伝えるところによると、元和年間(1615~1623)塙(はなわ)田右衛門直行が諸国の大名に豊臣秀頼公に味方して大阪へ入城するようにすすめて歩いたが、塙はその時、僧の姿となって鉄牛と名乗り、この村へも来てこの寺に滞在したことがあったというが、確かな証拠もない。
貞享元(1684)年、黄檗僧鉄牛和尚が来て初めて禅宗となり、本尊はその時に変更して、今の支那仏となった。厨子も経机も中国のものである。寺宝に開山鉄牛の肖像(喜多元規画)に鉄牛自筆の賛の軸が保存されている。鰐(わに)口(ぐち)の銘には、天明2(1782)寅正月吉日稲生西セ古若者連中とある。
聖観音菩薩(室町時代の作、寄木造)。光背に鏡がつき、飾りがすばらしい。肉髻(にくけい)が高く日本式のものでない。)等あり、文化財として価値のあるものである。また五具足もりっぱな作で、香炉の裏の銘に「勢州奄芸郡稲生村妙応山観音禅寺 貞享3(1688)年丙寅3月吉日」とある。
すぐ東が伊奈冨神社の神主をされていた稲生家で、貴重な書類が保存されていた。この東に元の神宮寺があったという。また、庚申、行者、富士山の御堂、地蔵堂も敷地内にある。
※ 鰐口・・・・仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種
住所:鈴鹿市稲生西2-24-8
駐車場:あり
― その他の観音寺文化財 ―