稲生城跡

稲生城跡1

稲生城跡2

出土品1

出土品2

出土品3
天正8(1580)年、北畠氏が討ち取られ、稲生は方々から攻められ、神領もままならなかったので、和田氏の子孫を頼み稲生の地頭と仰き、第2代地頭は和田政盛がを治めた。その子藤盛は、近郷近村を討ち取り、5万石ほどの城主になって上洛し、和田豊前守源藤盛となった。稲生殿と申すのはこれである。
稲生城跡は稲生の新城で、元の稲生城は、稲生西二丁目の福田寺にあった。城主和田藤盛が第3代地頭をしていて、伊奈冨神社の改築にも努力したことが、棟札に残っている。藤盛は、滝川一益に攻められて破れ、後に松阪の天花寺氏の征伐の手先となり、曽原(今の一志郡三雲町)で一族が戦死した。子孫は、倉田氏と名乗っていた。
現在、城跡の大部分は、耕地整理によって田畑となっている。令和2~3(2020~2021)年、河川改修事業に伴い、残されている段丘端の東西90m×南北150mの高まりが調査されたが、南側の竹藪には土塁のような高まりが残っているが、僅かに中世の土器が出土したのみで遺構は確認できなかった。
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