いのう遺跡文化探訪|スポット稲生西32

旧三菱重工の疎開工場跡
 太平洋戦争中に海軍の戦闘機を組み立てていた三菱重工業の旧鈴鹿工場(鈴鹿市東玉垣町)の疎開工場の跡である。建物のコンクリート基礎が2つ確認されており、その1つは長さ30.9m幅1mである。4棟からなり、1945年3月に建設が始まり6月に完成した。月産35~50機の生産が計画されていたが、終戦までに完成した機体はなかった。鈴鹿工場は、終戦まで空襲被害はなかったものの、万一の空襲から逃れるために建設されたとみられる。
このことは2024年8月に浅尾悟さんによって公表された。それによると、基礎部分は10年ほど前に確認されていたが、別の文書からから鈴鹿海軍工廠(こうしょう)の燃料庫跡だと考えていたという。しかし、米軍の戦略爆撃調査団報告書を読み解くなかで、場所を特定できた。