勝手神社(かってじんじゃ)
明治43(1910)年に伊奈冨神社へ合祀されたが、昭和の初めに分けられてまつった。八重垣神社・南龍神社が同じくまつられている。手洗水には、宝暦の字が残っている。
南龍公とは、紀州藩主・徳川頼宣(徳川家康の十男)である。このあたりは紀州藩の土地で、昔は野町は荒れ地で、鷹狩りの場所であった。そのため、鷹の管理をするためにここに住まわせたのがきっかけとなっている。
近くの「あおい団地」の名は、南龍公(徳川家)の紋所が「葵(あおい)」なので、それにちなんでつけられた。「葵公園」の名前の由来も同様である。