いのう遺跡文化探訪|スポット野町17

浄土池
  浄土池は、室町時代嘉吉年中(1441~1443)、大柴九郎太夫が、形ばかりあったのに目をつけて拡張した用水池である。当初、人々は、その徳をたたえ、柴が池と呼び、その後、明治の初めから浄土池と呼ぶようになった。 大正13(1624)年の大干ばつに農家も随分困り、伊奈冨耕地整理組合を結成して、大正14(1925)年から昭和3(1928)年まで、用水確保のため、堤塘の抜本改修をしたので、貯水量は増し、耕地全域を潤すことができるようになった。 しかし、堤体の老朽化が進み、漏水量が増加するにつれ、危険な状態になってきた。堤体の安全と用水の確保を図るため、昭和54(1979)年より、鈴鹿市と地元が農林水産省、三重県の助成を受け、県営のため池等整備事業として、抜本的な大改修を行い、昭和58(1983)年3月に完成した。池の堤防に、その碑が2つ建っている。  広い水田(約2000ha)をうるおす稲生の大切な池である。 現在は、上池だけを残し、下池は埋めて、今は職業訓練センター等が建っている。池のまわりは約2kmである。北部水利組合が管理している。
浄土池拡築紀念碑
画像 浄土池3
画像 浄土池4
 鈴鹿ハイツの南、浄土池南東に立つ。
表 浄土池浄土池擴築紀念碑
裏 昭和3年4月建之
設計者 佐野間十郎
工事監督 荒川 光橋
稲生村耕地整理組合連合会長 樋口 銀助
副会長 大橋 正克  鈴木 源吉
 ※ 以下、関係者名が刻まれている 
浄土池竣工記念碑
浄土池イメージ4
浄土池竣工記念碑
浄土池竣工記念碑
 鈴鹿ハイツの南、浄土池南東に立つ。
表 県営ため池等整備事業  浄土池竣工記念碑
裏 沿革