いのう遺跡文化探訪|野町みどころ 18

禰宜三昧(ねぎざんまい)
禰宜三昧イメージ1
禰宜三昧イメージ2
禰宜三昧イメージ2
禰宜三昧イメージ2
 祓川池の南東、池ノ下に稲生神官家と神道の家の墓がある。
稲生穂積墓碑銘
画像 稲生穂積墓碑銘
画像 稲生穂積墓碑銘1
画像 稲生穂積墓碑銘2
 祓川池の南東、池ノ下の禰宜三昧にある。磯部穂積氏の功績について記されている。
表 稲生穂積墓
裏 稲生家76代磯部臣穂積天保12年(1841)11月稲生村平田宇八次男ニ生レ幼年官吾ト称ス 文久3年(1863)甲斐守行定ノ嗣トナリ仝3年上京シ神祇官領ヨリ伊奈冨神社大宮司ニ補セラレ奥守トナル明治6年(1873)仝神社祠官拝命8年権少講義ニ兼補27年(1884)実行教少教正トナル大正11年(1922)伊奈冨神社々司ヲ辞シ専ラ加和良神社ニ奉仕ス昭和2年(1927)三重県神職会長ヨリ斯道精勤神職ノ模範タリトシテ銀杯一箇ヲ授ケラル同3年(1828)3月病ミ11日終ニ没ス享年88才     昭和4年(1929)3月11日建之
家譜略
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 祓川池の南東、池ノ下の禰宜三昧にある。稲生家76代嗣磯部臣穂積が、代々の宮司職の系譜を記した。
表 吾遠祖は仲哀天皇の第三皇子譽屋(ほんや)別命(わけのみこと)に出づ其後胤磯部臣磯主始て伊奈富神社に仕へ奕(えき)世祠職たり壬申の乱(672)に天武天皇は大神の霊徳を叡感あらせられ乱治て後家祖に金吾太夫の官爵を賜ひ世襲すべき宣旨あり64代家次の世火災有て委しき記録を失ひし故に唯稲生社の神系圖及び家系書に其一斑を傳ふるのみなれども長禄以後(1457~)は本社神殿の棟札に據りても在職者の通称年時等詳かなり元禄年中(1688~1703)71代行重に至り従五位下に叙し甲斐守に任ぜらる爾後歴代此位官に叙任せられ尚累代宮司職の縁内にて天保年中(1830~1843)行忠の世大宮司に補せらる其後姓氏の混同を正して氏を稲生に姓を磯部と改む穂積明治維新祭政一致の聖代に遭ひ神祇官に出候して当社什宝の具陳書を奉呈し其後更に祠官に拝せられ尋で氏族に列せられたり以上は系譜の概略なり 予熟々考ふるに水火の災は人生の免れざる事なれば茲に家系の湮滅せむことを慮て明治28年(1895)5月之を勒(きざ)みて祓河の邉堅岡山なる祖先の奥(おく)城(つき)の側に立つ吁(ああ)子孫たる者當(まさ)に勤勉を胸として家業を勵(はげ)みて益々家名を発揚せざるべけんや

 社司稲生家76代嗣磯部臣穂積誌 裏 なし
※ 奕世(えきせい)・・・・代々 湮滅・・・亡び絶える  奥城・・・・墓地