東光山 福楽寺 (とうこうざん ふくらくじ)
高野山 真言宗
寺伝によると、聖武天皇(在位724~749)が奈良東大寺大仏建立の際、伊勢神宮に行基菩薩を遣わされた。その途中、当地方に悪疫が流行しているのを見て、行基菩薩はその人々の苦しみを哀れんで自ら薬師如来像を彫刻し、当地へ安置し悪疫退散の祈願を込め開眼供養をなされた。その祈願の効あって悪疫はおさまったといわれる。これが福楽寺の起こりであると伝えられている。昔は壮巌なる堂塔、大伽藍を有していたといわれている。
またここは、旧字名が塩屋古里と呼ばれていたように、稲生塩屋の元村といわれ、ここに建てられた福楽寺は村の氏寺、本尊薬師如来は氏仏として人々から崇敬されていた。
織田信長の伊勢侵攻の兵火により堂宇伽藍は消失してしまうが、幸いにも本尊は、難を免れ、仮堂に安置し守り続けられてきた。寛文年間(1661~1673)に至り、大徳空昭律師は再興を発願して堂宇を再建、興隆に力を尽くされた。当山はこの空昭律師を中興の祖として崇められている。
現在の本堂は、明治になって再建されたもので、本尊の秘仏薬師如来(30年に1度ご開帳)、千手観音、不動明王、弘法大師等各像が安置されている。
境内には、大日堂、地蔵堂、行者堂、弁財天堂、牛頭天王、秋葉権現が造立されている。
― その他の福楽寺の文化財 ―

福楽寺の歌碑

落馬地藏