いのう遺跡文化探訪|スポット 塩谷地区7-3

落馬地蔵
 本能寺の変で織田信長が明智光秀に伐たれた時、徳川家康が居城の岡崎に戻る時、伊賀越えをして稲生に入ったという。その時、塩屋の古里で落馬し、田に落ちたところを近くの百姓が助け、介抱した。その後、その百姓は『疋田(引田)』という姓を戴いたという言い伝えがある。その後、家康が助かった場所に地蔵が建てられていたが、現在は、福楽寺の境内に移設されている。  別説として、樋口次郎兼光が当地へ来たとき、誤って馬をどぶ田へ入れ非常に困っていた。その時その馬を引き上げた功により疋田という名字をもらい、その田を恩賞として申し受けたという。
― その他の福楽寺の史物 ―
画像 福楽寺の歌碑 福楽寺の歌碑
画像 福楽寺 落馬地藏 落馬地蔵