福満山 神宮寺 (ふくまんざん じんぐうじ)
高野山 真言宗
第四十五代聖武天皇の御代(天平年間)、光明皇后の御発願により行基菩薩を介して全国に六十六ヶ寺に施薬院を創らせた。その内の一つとして稲生の宮地内に別当寺として創建された。第五十三代淳和天皇の御代(天長年間)、僧空海(弘法大師)が一夏九〇日の間参籠された。その折に大般若経を書写し、仏像数軀を刻み、仏堂をも建てた。往時は七堂伽藍を建ち並び、覚乗上人作の稲生明神講式の中に五重の塔の九輪にかかる白雲が塔と共に七島池に映っていたと書かれている。春照上人の時、第一〇四代後柏原天皇より参内を許され勅願の綸旨と上人号を賜った。戦国時代、織田信長の兵火により七堂伽藍が焼失し末寺の延命寺(現地)に移り合併した。
享保八(1723)年、紀州領寺社奉行直支配となり境内地は殺生禁断となる。毎年春には殿様の無事息災を祈祷し、白子御殿に祈祷札を納めた。元は無本寺で末寺六坊を有していたが明治に入り中興第九世如実の時に高野山真言宗に属する事となった。
昭和五十四年、火災にて本堂、庫裡、その他の付属建物を全焼し仏像、仏具等多数失ったが本尊、文化財、古文書等は概ね難を免れた。昭和五十六年末、本堂、庫裡を再建した。
住所:鈴鹿市稲生西2-8-16
駐車場:あり
― その他の神宮寺の史物 ―

経塚

木造多聞天立像

木造薬師如来立像

木造深沙大将立像

薬師瑠璃光如来

神宮寺古文書

筆塚

富士見石

木造男神坐像

木造持国天立像

神宮寺の蘇鉄