禅教道場の阿弥陀如来像と聖徳太子像である。
高田本山の元禄3年(1690)の御公儀宗門帳に{高田宗同村本照寺末寺一禅教道場屋敷御年貢地本尊弥陀真慧筆}とあり、禅教道場は、本照寺の末寺であった。禅教の野袈裟には永正18(1521)年9月14日とある。これは、真慧上人の弟子で高田派第11世応真上人の御真筆である。この野袈裟は、現存していない。
禅教道場の聖徳太子像は、南無仏太子の像である。575(敏達4)年、太子が2歳の時の姿である。この年の2月15日釈尊入滅の朝の夜明け前,一人目を覚ました皇子は東方に向かって小さな手を合わせ,「南無仏」と念仏を唱えたという。このとき,それまで握りしめていた仏舎利が地面に落ちた。この仏舎利が法隆寺にあるらしい。夜明け前に念仏を唱えることは7歳になるまで続いたと言われている。 その時の姿は、頭を丸め、上半身裸で、腰から下に赤い裳をまとった姿として鎌倉時代以降の像に造られた。
― その他の本照寺の史物 ―

塩屋八景碑

塩屋縁起翁草

本尊阿弥陀如来像

阿弥陀如来像

聖徳太子像

禅教道場像

鍛冶屋垣内道場像

六字名号