いのう遺跡文化探訪|スポット 伊奈冨神社1-3

伊奈冨神社1
 稲生西 伊奈冨神社1
稲生西 伊奈冨神社2
大宮・・・・・・・ 保食神那江大国道命(うけもちのかみなえおおくにみちのみこと)
       
西の宮・・・・・・・
豊宇加能売神(とようかのめのかみ ) ・稚産霊神(わかむすびのかみ)
      
三大神・・・・・・・
鳴雷光神(なるいかづちひかりのかみ) ・大山祇命(おおやまつみのみこと)

神代、東(あずま)ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、今より遡ることおよそ2100年前の崇神天皇5年、霊夢の神告により勅使参向のもと、「占木」の地にて社殿造営の地を占われ、神路ヶ岡に大宮・西の宮・三大神の三社を鎮祭された。
その後、仲哀天皇の御子、品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え、雄略天皇5年には数種の幣物が奉納され、主祭神保食神には「那江大国道命」の御神号を賜った。奈良時代天平年間、行基上人が別当寺の神宮寺を建立され、更に平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられている。
貞観7(865)年4月、正五位上より従四位下に進階し(三代実録)、延喜式内社に列せられた。当時の神領は、東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な面積であった。
鎌倉時代中頃には正一位に進階し、文永11(1274)年三社それぞれに勅額を賜った。以後「正一位稲生大明神」として武門武将の尊信篤く、ことに鎌倉将軍惟康親王は神田220町歩、北畠国司は社領1000石御供田12段を寄進せられ、また江戸時代元文年間(1736~1741)には、紀伊徳川家より造営料銀22貫を賜り、三社の大造営が行われた。
明治期に入ると明治6(1873)年に郷社、同37(1904)年に県社に列せられたが、戦後この制度は廃止され現在に至っている。
― その他の伊奈冨神社の史物 ―
画像 伊奈冨神社縁起 伊奈冨神社縁起
画像 伊奈冨神社  木造扁額 木造扁額
画像 伊奈冨神社 神像13点 神像13点
画像 陶製三足壷 伊奈冨神社 陶製三足壷
画像 伊奈冨神社  棟札73枚 棟札73枚
画像 弘安3年獅子頭 伊奈冨神社 弘安3年獅子頭
画像 翁面2面 伊奈冨神社 翁面2面