いのう遺跡文化探訪|スポット伊奈冨神社1

伊奈冨神社(いのうじんじゃ)
 稲生西 伊奈冨神社1
神代、東(あずま)ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、今より遡ることおよそ2100年前の崇神天皇5年、霊夢の神告により勅使参向のもと、「占木」の地にて社殿造営の地を占われ、神路ヶ岡に大宮・西の宮・三大神の三社を鎮祭された。
その後、仲哀天皇の御子、品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え、雄略天皇5年には数種の幣物が奉納され、主祭神保食神には「那江大国道命」の御神号を賜った。奈良時代天平年間、行基上人が別当寺の神宮寺を建立され、更に平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられている。 →【更に詳細を見る】
住所:鈴鹿市稲生西2-24-20
駐車場:あり
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画像 伊奈冨神社  木造扁額 木造扁額
画像 伊奈冨神社 神像13点 神像13点
画像 陶製三足壷 伊奈冨神社 陶製三足壷
画像 伊奈冨神社  棟札73枚 棟札73枚
画像 弘安3年獅子頭 伊奈冨神社 弘安3年獅子頭
画像 翁面2面 伊奈冨神社 翁面2面
【県指定名勝】 『勢州稲生村三社絵図』にもその姿が描かれており,遅くとも室町時代後期(15世紀前半)には,この地に存在していたと考えられる。同絵図に描かれている姿と,現状の姿には,島の形状・大きさに違いがあるものの,池の形状,島の数など,基本的な庭園の構成要素に大きな変化はなく,600年前の姿が今に残る貴重な庭園であると考えることができる。
 昭和57(1982)年2月4日,吉田前宮司は県名勝指定申請を行った。三重県教育委員会は,昭和56(1981)年12月1日,三重県文化財保護審議会委員である庭園文化研究所所長・森蘊氏による現地調査を行い,昭和57(1982)年4月27日付け三重県公報により,伊奈冨神社庭園を県指定名勝に指定した。
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― その他の伊奈冨神社の史物2 ―
画像 伊奈冨神社  祖霊社(祈念所) 祖霊社(祈念所)
画像 伊奈冨神社 大井富蔵翁彰徳碑 大井富蔵翁彰徳碑
画像  鈴鹿市政五十周年記念 鈴鹿市政五十周年記念碑
画像 伊奈冨神社  豊御崎神社の碑 豊御崎神社の碑
画像 招魂碑の案内碑  伊奈冨神社 招魂碑の案内碑
画像  山の神の碑 伊奈冨神社 山の神の碑
画像 招魂碑 伊奈冨神社 招魂碑
画像  つつじ山の碑 伊奈冨神社 つつじ山の碑
画像  三大神旧跡 伊奈冨神社 三大神旧跡
画像  大井僊之丞彰功碑 伊奈冨神社 大井僊之丞彰功碑
【国指定文化財】 平安時代前期~後期の作とされる、楠の一木造りの像。崇神天皇像と伝わる。幞頭冠(ぼくとうかん)を頂き、翻波式衣紋と呼ばれる袍(ほう)を纏(まと)う。腰部には石帯(せきたい)と呼ばれるベルト状のものを着し、当時の貴人の装束を意識して表現されている。もとは彩色が施されていた。
 忿怒の相とも評される大変厳しい表情が印象的。特に目元は瞋目(しんもく)と呼ばれる技法が用いられており、これは不動明王などに用いられる技法で、神像の類に用いられる例は数少ない。
 また、両手を胸の前で合わせているのは笏(しゃく)のようなものを持たせていたものか、とも思わせる穴が穿(うが)たれている。
― その他の伊奈冨神社の史物3 ―
画像 伊奈冨神社  勢州稲生村三社絵図 勢州稲生村三社絵図
画像 伊奈冨神社  鈴木庄九郎歌碑 鈴木庄九郎歌碑
画像  伊奈冨神社  大井好定句碑 大井好定句碑
画像 伊奈冨神社  鈴木信重翁の漢詩 鈴木信重翁の漢詩
画像 坂鍈一歌碑  伊奈冨神社 坂鍈一歌碑
画像 獅子祭碑 伊奈冨神社 獅子祭碑
画像  佐野昌邦歌碑 伊奈冨神社 佐野昌邦歌碑
画像  吉崎金弥歌碑 伊奈冨神社 吉崎金弥歌碑
画像  水谷碧山居句碑 伊奈冨神社 水谷碧山居句碑
画像  真宮禾堂句碑 伊奈冨神社 真宮禾堂句碑